3倍ほどに膨れ上がった右ひざ。
おい!なんか汚いとか言うな!(憤怒)
ハリウッドザコシショウの下半身を見ているような気分になります。
なんか、歩けなくなったんですけど…
2022年9月11日、全米(私の右膝)に衝撃が走った。膝が3倍ほどのサイズにパンパンに腫れ、歩けないほどに痛みが出たのだ。
ちなみに、このブログを執筆しているのは当日の午後4時。激痛に耐えている真っ最中である。
この記録はライブである。痛みにもだえ苦しむ人間の、生の記録をお楽しみください。(迫真)
思ったよりヤバい、その症状
階段を登れない。運転できない。そもそも歩行困難なのだ。熱を持っていて、鈍い痛みがずっと続いている。さっきは激痛と書いたがウソだ。
5日前、違和感を覚え始める
おそらく、最初の異変に気付いたのは5日前だ。正座ができなくなった。
程度に考えていた。距離を短くしたものの、この時点では日々のランニングを継続していた。痛みはまだ、ほとんどなかったからである。
しかし事態は、どんどん悪化していった。
3日前、走るのをやめる
平時でも弱い痛みが出るようになった。この時点でやっと、私は走るのを中止した。しかし、ウォーキングに切り替えて運動は継続した。痛みの原因が変形性膝関節症であった場合、軽度の運動は有効であると考えていたからだ。
この時点で、自分の足をよく観察すればよかったかもしれない。運が良ければ、不自然に膨れ上がった右ひざに気が付けたはずだ。
しかし私は自分の身に起きつつある事態を予測できていなかった。そしてその事実は、私に最悪の事態を引き起こしてしまう。
1日前、地獄のデート
昨日、私はデートをしていた。(迫真)
右ひざはすでに、歩行困難なほどに痛みが出ていた。そしてこの時点で、自分の右ひざがパンパンに膨れ上がっていることに気付いた。
ふつう、デートに行く気力など湧かないはずだ。歩くことも、運転することも苦痛である。しかし私は、デートのために車に乗り込んだ。(迫真)
デートでなにをしたかは、ここで発言するのは差し控えておこう。しかし5時間ほどの運転と、激しい運動を複数回したのは事実である。
後悔はしていない。私の背中には自由の翅が生えている。顔のわりにモテるのだ。残りいくばくの人生をどう生きても、私の勝手であろう。
だが、これだけは言える。もし24時間前の私に話しかけることができるとすれば、こう声をかけるだろう。
病院が開くまで、あと16時間の地獄
左右の膝の形がまるで違う。(写真)
文章がやっと、現実時間に追いついたようだ。現在、午後4時20分。
私の住む信州の山の奥の奥から、街の整形外科までは遠い。しかし、明日は診療所の自動ドアが開いた0.2秒後に受付を行うだろう。そのくらい、事態はひっ迫している。
あと15時間50分、この地獄に耐える必要がありそうだ。
クレイジーランナーの生死を見届けよ!続報を待て。
【オマケ】松井秀喜さんの場合
かつて読売ジャイアンツやニューヨークヤンキースで活躍された松井秀喜さんですが、松井さんも膝の痛みに苦しんだ経歴をお持ちです。
巨人時代の1998年に初めて左ひざの痛みを感じ、それをかばううちに右ひざにも痛みが出始めました。
ヤンキース時代の2007年オフに、右ひざの軟骨を除去する内視鏡手術を受けています。日米通算2000本安打を達成するうらで、膝の痛みとも戦っていたんです。
私の膝がどのレベルの状態なのか、今はわかりません。ですが、悲観もしていません。最善を尽くし、今まで通り日本縦断とカナダ横断に向けた努力を続けるだけです。
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