【廃村】稗之底村に人間が住めなくなったワケ(前編)

ヤミ闇通り探検隊

”クレイジーランナー”とはいったい何者なのか?(自己紹介)

【廃村】稗之底村に人間が住めなくなったワケ(前編)

ヒエノソコムラに、もう一度行く決意をした(迫真)
『二度と行かねぇ…』
そう決意していたはずでした。ヒエノソコムラ
なのにもう一度行こうと思ったのは、あのやりすぎ都市伝説でヒエノソコムラが特集されたからです。
ハローバイバイの関さんが来てたみたいですね。
その影響か、私が駆け出しYouTuber時代にアップしたヒエノソコムラ関連の動画が申し訳程度に再生されました。
期せずして、私クレイジーランナーがいわくつきの土地に走っていく動画シリーズ、
【都市伝説】ヤミ闇通り探検隊【恐怖体験】
を始めようと思っていたので、ちょうどよかったです。
第一弾、ヒエノソコムラ行ってみよう!
お品書き
【事実】江戸時代後期に廃村となった村、ヒエノソコムラ
ヒエノソコムラが廃村になったのは1763年。江戸時代の後期ですね。
もう250年以上前ですから、家屋が残っているようなことはありません。
しかし、この時代であれば正式な文献が残っています。
まずは残された文書から、客観的事実について確認していきましょう。
①廃村になった正式な理由は、米の収穫量の少なさと怪奇現象
富士見町史上巻より①(わかり易い意訳つき)
稗之底村之儀、
(ヒエノソコムラはさぁ、)
八ヶ嶽之麓ニ而地所至而寒ク、
(八ヶ岳の麓にあるじゃん?だからめっちゃ寒くてさぁ…)
作毛実入兼、
(米もなかなか獲れないってわけ!)
其上当村之水神山尾崎明神之森ヨリ怪異成事
(しかも、村にある水神の森でやべぇことが起こっちゃったの!)
共有之、住居難成
(だからもう住めませぇん。涙)
富士見町史上巻より②
水神森より異へん成儀と申儀ハ、
(水神の森で起きたやべぇことはさぁ…)
何事二候やと御尋有之、古人の申伝へ、白きにわ鳥出、
(いきなり白いニワトリが出てきてさぁ…)
屋根へ登りおどしなといたし候よし
(屋根に登って俺たちを脅したのよ!コケコッコーってさ!)
なぜ中世の人間はニワトリにビビったのか?
米の収穫量が少ないのはわかった。
でも、ニワトリでビビるのはなんとなくおかしいですよね。
中世の民を擁護すれば、江戸時代はまだ外来種の白いニワトリは珍しかったんです。
ましてや、長野県の山奥では激レアであったと言えるでしょう。
見たこともない白いニワトリがコケコッコーとないた日には、
『や、やべぇことが起きてるだ、おらたちの村で!!』
と思ったとしても不自然ではありません。
記録が残る公式な聴取の場でわざわざ話しているんですから、マジでビビったんでしょう。
②高地にあり、人間が住むには非常に厳しい環境
ヒエノソコムラは、およそ標高1000mの高地にあります。
現在でこそ別荘が多く立ち並んでいますが、中世の人間が暮らすにはあまりにも厳しい環境です。
  • 超寒い。(マイナス15度とかになる)
  • 米が育たない。(36石)

マイナス15度はわかり易く地獄ですよね。

ストーブもない簡素な家で、ゴザにくるまる中世の民に思いを馳せます。

36石ってどのくらいの量なん?ってことですが…。

加賀100万石の大名!
みたいな言い方するじゃないですか。
これは100万人を養うことができる街、ということです。
すなわち、1石は1年間で人間が食べるコメの量です。
つまり…
ヒエノソコムラは、36人以上は住めない…
ということになります。
ヒエノソコムラは、1クラス分の規模しか維持できない状況にあったと言えます。
③大先神社の盤座は、山の神を祀っている
ハローバイバイの関さんは、こちらの石碑を見て…
人間が、空からの光を浴びている絵だ!
みたいなニュアンスで発言されたようです。
たしかに、人間の顔のように見えます。そう見るとウルトラ怖いですよね。
その関さんの意見を否定するつもりはありません。
このしめ縄が巻かれた石のあるあたりは、便宜上『大先神社』と呼ばれていますが、厳密には大先神社は、この石の左右に置かれた小さい祠のどちらかだそうです。
じゃぁこの石はどの神様を祀ってるんですか?
という話ですが、これは大山祇命(オオヤマツミ)という『山の神』を祀っています。
山の神のシンボルは剣です。
すなわち、この石に刻まれているのは人の顔ではなく、剣ということですね。
これは私も動画の中でそう言っていますし、ぶっちゃけちょっと調べればわかることです。
もう一度言いますが、関さんの発言を否定するつもりはありません。
もしかしたら、ホントに人の顔の可能性もあるでしょう。
セリフをお借りすれば、信じるか信じないかは、あなた次第です!って事ですね。
【考察】ヒエノソコムラの存在意義と、廃村の真相
ここまで、資料などで明らかにされている客観的事実に基づいて話してきました。
ここからは、その事実に基づいて類推される事象について考察していきましょう。
謎を組み合わせていくと、ヒエノソコムラの真実の姿が見えてきます。
①川中島の戦いのための、技術者集団だったという説がある
そもそも、なんでそんな辺境の地に住んでんねん!
ごもっともな疑問です。
わざわざこの地に住む理由。それは、信玄の棒道にあるという説があります。
信玄の棒道は、主に川中島の戦いのために造られました。
兵士たちを行軍させるための道ですね。
ヒエノソコムラの住人たちは、この道を作るために送り込まれた技術者だったとしたら?
わざわざこんな辺鄙なところに住み始めた理由がしっくりきます。
ヒエノソコムラの住民が、信濃より甲斐の国の姓を持つ人間が多かった、というのも、この説を裏付ける一つの理由になっているようです。
②ヒエノソコムラ近くにある『中丸沢』には幽霊が出る
『幽霊が出る』と言い切ってしまいましたが、これはウチの爺さんがいっていたことですから!私は知りません。
でも、たしかに私がチビッ子のときにも、『中丸沢に幽霊がでる』という話はみんなが知るところでした。
すなわち、少なくとも80年くらいは幽霊が出ると言われ続けているわけです。
中丸沢はヒエノソコムラのすぐ近くです。
なんか、ヒエノソコムラ周辺にはオカルト的な話が多いですよね。
これは誰も言っていないので、ガチで私だけの考察なのですが…。
中世の日本人は、勝手に住む場所を変えることができませんでした。
農民は土地に縛られ、居住移転の自由を有していなかったんです。
明治維新によって、封建制が崩されるまでは。
かつて風土病が蔓延したときも、その土地に住み続けるしかなかったことからも、それは明らかです。
水神の森の怪異や、中丸沢の幽霊も、もしかしたら…
人間が住むに適さないことを知らしめるための、方便だったのではないか?
そう感じてしまいます。
③ヒエノソコムラの民は、ずーと前から村を出たかった
時は江戸時代後期です。
武田信玄はとっくにお亡くなりになっています。
ヒエノソコムラの民が信玄の棒道を作る技術者集団であったとしても、100年以上も前にその目的は失われていたのです。
残ったのは、過酷な環境で住み続ける自分たちの厳しすぎる生活だけ。
シンプルに地獄ですやん。
私は変人なのでヒエノソコムラ並みの山奥に住んでいますが、マジでマイナス15度は地獄です。
そんな極寒の世界で毎朝ランニングする人の身にもなってください!
【残された謎】水神森ノ怪異とはなんだったのか?
先ほどの考察で、まるで水神の森の怪異が住民による作り話であるかのような言い方をしましたが、それはあくまで仮説のひとつです。
『稗之底村は、米の収穫量の少なさと怪奇現象が原因で廃村になった』
これが文献に残るすべてであり、事実です。
どんな解釈をするかは、個人に委ねられるでしょう。
もしかしたら…
まったく別の形で起きた怪異を、白い鶏と表現した…
なんてこともあるかもしれません。
自分で書いていて寒気がしてきました…。
怖いやん!数時間後には、ヒエノソコムラに行く予定なんですけど…(ガチ)
【まとめ】稗之底村の謎は永遠に解けない
結局のところ、ヒエノソコムラに関する文献が少なすぎるせいで、事の真相はわからないままでしょう。
信玄の棒道は、狼煙をあげる場所なんかもある、軍事的に重要な道です。
敵軍に棒道の情報がバレたら厄介ですから、ヒエノソコムラの情報もなるべく残さなかったのかもしれませんね。
【オマケ】犬の穴ってなんや??
ヒエノソコムラに近くに、『犬ノ穴』という謎スポットがあります。
その正体は馬捨て場などではなく、かつての狼用の落とし穴ですね。
こんな浅い穴で狼が退治できるわけねぇだろ!
と思われたあなた。マジでそうですよね。
一応、中世の民を擁護しておくと、昔はもっと深かったのかも知れませんね。
かつてこの富士見町から山梨県の北杜市にかけては狼が分布していました。
現在まで伝わる狼信仰や、送り犬の伝承にその名残が見られます。
きっとヒエノソコムラの住民たちも、狼を恐れ、そして神として信仰したのでしょう。

過去2回ヒエノソコムラに行ってますんで、その動画を貼っておきますわ!

すげぇ古い動画だから、編集がへたくそなのはしょうがない。(迫真)

また、ヤミ闇通り探検隊として動画をあげた後、この後編のブログ記事もアップしますから待っててね。(2022年お盆公開予定)

いくぞ!ヤミ闇通り探検隊の隊員諸君!!

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